出会い系攻略ガイド|業者が教える2019年最新出会い事情

PCMAXやハッピーメ-ルなどの出会い系サイト、Omiaiやタップルなどのマッチングアプリまで、元サクラ&援デリ業者の管理人が徹底解説

管理人プロフ

初めまして管理人です。まずは簡単に私のプロフでも。

ごあいさつ

現在30代の男性。既婚。2児の父。
都内の某有名大学在学中にサクラのバイトを始め、後に社員となる。

20代半ばでサクラ(出会い系)を卒業し、元同僚の紹介で援デリ業者の打ち子に転職。2年ほどで店長へ。その後、数店舗を持つようになるが、結婚と妻の妊娠をきっかけに退職。

現在は投資家、サイト運営は趣味で行っています。

女性経験は週に2人ほど関係を持っていたので、年間100人ほど。ざっくり計算しても1500人~2000人。(ラブホ代で1000万は使ってますね…)

高校~大学時代

掲示板サイト全盛の時代(2000~2005年頃)

中学生から高校に上がるタイミングで、ようやく買ってもらえた携帯電話。その当時のガラケーは、iモードやEZwebといったキャリアサイトにアクセスするのが一般的でした。今のように何かを検索するというよりは、キャリアサイトのトップページから、自分の目的にあったコンテンツを探すといった使い方が多かった時代です。

この頃にはすでに出会い系と呼ばれるサイトは登場しており、PCMAXなどの老舗サイトもこの頃からサービスを開始しています。

当時はキャリアサイトのリンクの中にも「コミュニティ」のような項目があり、年齢制限も無く、同じ地区の同年代の子と簡単に出会うことができました。小学校5~6年生の子から中学生を中心に、高校を卒業するまでの間にサイト経由で10人程度会っていました。地元に監視カメラが無いカラオケボックスがあったので、そこで良い思いをさせてもらいました笑 良い時代でした…。

前略プロフやチャットが流行(2004~2008年頃)

自慢ではありませんが、現役で東大に合格した私は上京し、憧れのキャンパスライフを謳歌します

…となる予定でしたが、まあ実際のところ、サークル入ったりなどでそれなりに出会いもありましたが、相変わらずネットでの出会いの方が多かったです。BBSサイト(掲示板)に書き込む女の子も多く、当時は正直入れ食い状態でした。それらのサイトも使いつつ、PCでサイト作成なども趣味で行っていた自分は、当時流行っていたMSNチャットやSkypeで中学生くらい~同年代の女の子と夜な夜なPCチャットに明け暮れていました。この頃は出会い系サイトが乱立し、いわゆるサクラなども問題になってきた時期でした。

大学2年生の頃、同じサークルの友人から、アルバイトでサクラをしていることを聞いた私は、興味本位で自分もサクラになってみようと思い立ち、その友人の紹介で、当時渋谷にあった事務所へと面接にいくことになりました。

サクラ(アルバイト⇒社員)時代

アルバイトとして入社

サクラはドカントやメルナビといったサイト経由での応募が一般的です(当時はメルナビはありませんでしたが)。「メールオペレーター募集」と書いてあれば、9割方、出会い系サイトのサクラ募集です。新宿などの大きなターミナル駅では、定期的に紙媒体のドカントが配布されていたりもするので、見たことある方もいらっしゃるかもしれません。

一方、自分のように、実際にサクラのスタッフからの紹介で入社する人もそれなりに多くいます。(このあたりはまた別ページで詳しく) 渋谷駅で待ち合わせした友人に連れられて事務所に着くと、6畳ほどある応接部屋で簡単な面接と、PCのタイピングテストを受けさせられました。中学生くらいからPCを弄っていた私は、特にタイピングも問題なく、逆に、なんで東大生なのにウチ来たの?とかなり驚かれましたのを覚えています。

すんなりと合格した私は、翌日からその事務所でサクラとして働くことになりました。1日12時間(日勤or夜勤)で週5日出勤が基本ですので、慣れない人には結構大変な内容ですが、ずっとPCで打ちこみをすること自体は苦でもなかったので、割りと自分に合ってる仕事だと当時は思っていました。

最近は1日4~6時間程度、週3日程度の出勤でもOKといった事務所もちらほら見られますが、12時間勤務が基本なので、普通に大学に行きながら…というのは結構厳しいかと思います。そのころ、事情があって大学を休学していたので、時間があり余っていたというのもありますが…。なんだかんだで1年ほど続けていると、上司の方から社員にならないかと誘われます。

なお、アルバイトの頃の給料はと言うと、時給1300円×12時間×22日出勤=約34万円でした。普通は社会保険料や住民税などが引かれるところですが、自分のいたところではそういった天引きが一切なく、そのままの金額を受け取ってました。(社長のポケットマネーから出すような形で支払ってるとか言っていましたが…笑)

社員登用へ

普通に大学に行っていたとしたら3年生の秋~冬くらいの頃でした、社長と上司の方から社員にならないかと誘いを受けます。拘束時間は長いものの、割りと自分に合っている仕事と感じていたことや、特にやりたいこともなかったので、休学していた大学をそのまま退学し、その事務所で社員となりました。

表向きは普通の事務系の会社のように装っていたところだったので、社会保険にもしっかり加入させてくれましたし、社長が社員思いの方だったので有給などもちゃんと貰うことができました。

さて、ここでアルバイト→社員になったことで、私はサイトの管理責任者という立場になりました。もちろん打ち子としてサクラ業務も行いますが、スタッフを管理し、サイトごとの売り上げまで管理する立場ということです。このころになると、月給は手取りで50万を超えていました。現在はそこまでは貰えないかもしれませんが、当時はかなりの売り上げがあったため、羽振りも良かったです。(サイトの売り上げが大体2000~5000万/月で、その事務所では10~15サイト程度を稼働していました)

女性登録者(ユーザー)とヤリ放題

当時自分のいた事務所で運営されていた出会い系サイトは、男性登録者と女性登録者は別ページに飛ばされ、絶対に会うことはできませんでした(見た目は同じページ)。

女性登録者も全体の0.5割~2割程度(これは広告を出してるかどうかでだいぶ差が出る)いるのですが、この女性たちの相手をするのもサクラの仕事です。

通常はメールだけで終わらせて、ポイントを削る形になりますが、その時の社長は、別に会いたいなら会ってきても良いというスタンスだったので、週に平均して4,5人ほど相手をしていました。まあ他の事務所でこんなことは無いとは思いますが、登録している女の子もエロ目的だったので話も早く、さらに当時は年齢確認も無く、若い子もたくさんいました。(*現在は届出を出している健全なサイトは年齢確認必須です)

20代半ばで退職

仕事も楽、毎日のように別の女の子を抱ける、給料も良い。まあ辞める理由は無いんですが、当時真剣に付き合っていた子との間に子供を授かりました。

子供がいてサクラっていうのもなぁと考え、すんなりサクラを辞めました。その当時、ヤフオクで副業みたいに稼いでいたこともあり、3000万ほど貯金があったので、しばらくは大丈夫だろうということもありました。

援デリの打ち子⇒店長

久しぶりに同僚からメール

サクラを辞めて2ヶ月くらいは奥さんと旅行に行ったり、わりとブラブラしていました。そろそろ次の仕事をどうしようかと考えていた矢先、以前サクラ時代に同僚だった人から援デリの打ち子しないかと誘いを受けました。

サクラも援デリも変わらないので、子どものために~と考えていた手前、最初は気が乗らなかったのも事実ですが、わりと熱心に誘ってきたもので、とりあえず見学だけすると伝え、援デリ業者の事務所に向かうことになります。

打ち子デビュー

事務所は山手線の某駅から徒歩5分程度のマンションにありました。入ってみると大きめの1Rの部屋、おそらく13畳ほどの部屋に8人ほどスタッフが居ました。サクラの事務所は雑居ビルのようなところが多いので、その点は驚きました。

実際のところあまり気乗りしていませんでしたが、1件件数取れば4000円、役職が付けば5000円、6000円も可能という条件に魅力を感じた私は、その場でやりますと返答しました。

投稿日:2019年3月23日 更新日:

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